後ろ戸は、人間などが故意に開けたわけではありません。映画の中でも草太は、「人の心の消えたさみしい場所に後ろ戸は開くんだ」言ってました。
つまり、かつて人々が生活し賑わっていた場所から、何らかの理由で人々が居なくなると、この世の裏側といわれる「常世(とこよ)」に通じる後ろ戸が開きます。
後ろ戸が開くとそこからは、災となる「ミミズ」が噴き出し、その土地に甚大な被害をもたらします。
ここでは、「すずめの戸締まり」に登場する後ろ戸が開く理由と、その意味について解説します。
【後ろ戸】
人々がいなくなってしまった場所に開く、この世の裏側「常世(とこよ)」に通じる不思議な扉。開いてしまった後ろ戸からは「ミミズ」と称される災の奔流が噴き出し、その土地一体に甚大な被害をもたらしてしまう。また、後ろ戸の向こう側にはそこだけ切り取られたように常世の風景が広がっているものの、そこに脚を踏み入れようとしても決して入ることはできず、現実世界の扉の反対側に出てしまう。
ピクジグ百科事典「後ろ戸」より
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すずめの戸締まりの後ろ戸を開けたのは誰?
「すずめの戸締まり」に登場する後ろ戸は、人々に放置され人気がなく、忘れ去られたかのような廃墟にあり、誰かによって開かれたものではありません。
映画の中で登場する後ろ戸は5ヶ所
- すずめが住む宮崎県の「門波リゾートの廃墟」
- チカと出会った愛媛の「廃校になった学校」
- ルミさんと出会った神戸の「遊園地の観覧車」
- 草太を要石として刺した「東京・皇居の地下」
- 生まれ故郷である「三陸の津波被災地の廃墟」
すずめがはじめて扉を見つけた時、”後ろ戸”に鍵はかかってませんでしたね。
すずめが要石を抜いたから、後ろ戸が開いたとの見方もありますが、要石はミミズを鎮めるもの。なので、すずめが要石を見つけたときにはすでに、後ろ戸は開いていたと考えられます。
廃校になった学校や遊園地の観覧車、東京ではすでにミミズが出てきていたので、「ダイジンが後ろ戸」を開けているのでは?と思われましたが、そうではありませんでした。
ダイジンは、「これから開く後ろ戸」を案内してくれていたのです。
開く理由
映画の中で後ろ戸は、「人の心の消えたさみしい場所に後ろ戸は開く」としか説明されておらず、閉じ師である草太でさえ、後ろ戸がどこにありいつ開くのか知りませんでした。
また、映画に登場した後ろ戸は廃墟の他にも、廃校になった学校や、閉鎖された遊園地の観覧車、東京都心の地下にありました。
一昔前まではそこに人々が集い、賑わった場所であり、今では忘れられたかのように心の通わない、人々の想いが存在しなくなった、そんな場所で後ろ戸は開いてしまうのです。
要石との関係
要石とは、巨大な災いを封じ込める力を持った、不思議な2つの石像。映画の中では、ダイジンとサダイジンがその役目を果たしていました。
ダイジンが西、サダイジンが東の要石になり、ミミズの頭と尻尾を抑え動きを封じ、ミミズが後ろ戸から出てくるのを防いでいました。
つまり、要石はミミズの動きを封じ込めるためのクサビであり、閉じ師が鍵をかけることで、さらにミミズが現世に出れないように、二重ロックをかけていました。
後ろ戸の意味
「すずめの戸締まり」の中での後ろ戸は、現世(うつしよ・この世のこと)と常世(とこよ・死後の世界でもあり永久に変わらない神域)、この2つの世界をつなぐ扉であり、そこからはミミズという災いが出てくると表現されてます。
このシチュエーションに関して、新海監督は次のように解説してます。
扉は”後ろ戸”という名前なのですが、造語ではなく、古典能楽における概念です。
神様や政令の世界につながる扉といういみだそうで、神様は普段、人目につかない後ろ側の扉から出入りしていて、日本古来の芸術表現はその”後ろ戸の神”から超常的なインスピレーションを得るものだと考えられていた、といったことを本で読んだんです。
神様の通路みたいな意味合いで、神秘的であることが物語に通じる気がして、かつ表の玄関ではなく、後ろ側にある扉から何かが出入りしているという感覚が何となく分かる気がして、いい言葉だなと思い、映画で使わせてもらいました。
「オリコンニュース」より
本来、後ろ戸とは神様の通路であり神性な扉。なので、草太のような閉じ師が後ろ戸を閉じる際は、祝詞を唱えていたのです。
閉じ師が唱える祝詞の意味
祝詞とは、神様に向かって唱える、古体の独特の文体をもった言葉、祭典につかえる神職が神様に奏上する言葉です。
我が国は、「言霊の幸う国」とも称されるように、言霊に対する信仰が見られます。言葉には霊力が宿り、口に出されて述べることにより、この霊力が発揮されると考えられています。
例えば忌み嫌われる言葉を話すと善くないことが起こり、逆に祝福の言葉で状況が好転するというもので、婚儀など祝儀の際に忌み嫌われる言葉を使わぬよう注意を払うのも、こうした考えによることなのです。
祝詞には、こうした言霊に対する信仰が根底にあるため、一字一句に流麗で壮厳な言い回しを用いて、間違えることがないように慎重に奏上されます。
神社本庁「祝詞について」より
では、「すずめの戸締まり」で草太が唱えた祝詞には、どんな意味があったのでしょうか?
かけまくしもかしこき日不見(ひみず)の神よ
遠つ(とおつ)御祖(みおや)の産土(うぶすな)よ
久しく拝領つかまつったこの山河(やまかわ)
かしこみかしこみ、謹んで
お返し申す
この祝詞を現代語に訳すと、
「声に出していうのも畏れ多い、日不見(モグラ)の神よ
先祖代々の土地神様よ
長い間お借りしていたこの土地を、謹んでお返し致します。」となります。
人々は、神様の所有物である土地を借りて、生活しています。
その土地に、家やビルなどを立てる際、「地鎮祭」をしますね。これは、建物を立てる際、工事の安全と無事完成を祈願する儀式であり、工事を始める土地神様に承諾を得る意味があります。
ですが、その場所に人が住まなくなったり、人々が集わなくなるとどうでしょう?神様から借りた土地は寂しい場所となり、放置されお礼をして返上することもありません。
「すずめの戸締まり」では、人々から忘れられかけた寂れた場所を、かつてその場所に居た人々の思いと一緒に、神様に返上することで災いを鎮める願いが込められています。
閉じ師の鍵
閉じ師が持つ鍵は、開いた後ろ戸を閉じる時にだけ使われるものであり、普段は何の効力を持たない、ただの鍵。
ですが、閉じ師が開いた後ろ戸の前で鍵を持ち、その土地にあったかつての人々の声や想いを読み取ると、鍵は熱を帯び青い光を放ちます。
すると、後ろ戸の表面には人々の想いが集められた光の鍵穴が浮かびあがり、鍵をかけることができます。そうすることで、人々の心の重さが後ろ戸を封印し、災いを食い止めることができるのです。
まとめ
「すずめの戸締まり」に登場する後ろ戸は
- すずめやダイジンなど、誰かが故意に開けたものではない
- 人の心の消えたさみしい場所で開く
- 現世(うつしよ)と常世(とこよ)2つの世界をつなぐ扉
- ”人々の想い”の鍵穴が出現することで鍵をかけられる
映画「すずめの戸締まり」の中で、
「生きるか死ぬかなんて、ただの運なんだって、小さいときからずっと思ってきた」というすずめのセリフ。投げやりな言い方ですが、これも真実。
ですが人は、どんなに悲しく辛いことがあっても、現実を受け入れ前を見て進まなければなりません。それは、過去を忘れたり捨てるのではなく、真正面から向き合って生きること。
映画「すずめの戸締まり」は、見る人にとって「生きるという意味を考えさせてくれる作品」、と私は思います。
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